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© Hikita Chisato

「悩む人」家族のカタチ

2021.01.09

数年前、友人から子どもが出来たと報告を受けた。事情があり結婚はしないけれど、何とか頑張り育てていくとのことだった。周りには心配する声もあっただろう。ただ、わたしは応援したいと思った。命を授かることって奇跡だ、そう思っていたから。

その後、入籍こそなかったが、父親も一緒に暮らし、育児にも協力的だと聞き、なんだか安心した。

ところが、数年後にもう一人子どもが出来たと聞いたとき、わたしの心はザワザワと波が立って穏やかでいられなくなった。

どうして家族を増やす気持ちがあるのに、結婚しないの?彼はなぜ責任を取らないの?ここで初めて、自分が型にはめ込むこと、世間が与える役割を演じることを重視する人間なんだと強く実感した。

彼女はそれで良いと納得している。なのに関係のないわたしが物申したいと思うのは、自分の価値観が揺らいだからなのだろうか。事実婚という形態は知っていても、目の当たりにすると躊躇する自分。最初は「出来ちゃった」んだと、仕方ないのだと捉えていたんだろう。でも、そうではない、意思を持って選択しているんだと知ったときに、それを受け止められていない自分にはがっかりした。

ついこの間、街で歩きタバコを見掛けた。最初、この区は路上喫煙可能なんだっけなぁ、と思う程度だった。なのに、電柱に大きく「歩きタバコ禁止!」の看板を見つけた途端、その人が法を犯す悪党に見えた。極端な例えだけれど、形式を重視していると、心境は簡単に変わってしまう。

しかし、結婚や入籍はいわゆる国が作った決まりごと。お国が変わると常識もルールも法律もそれぞれ違う。大体、日本でも事実婚は禁じられていないし、例え禁じられていたとしてもそれが間違っている場合もある。自分が当たり前だと思っていることは、今ここで生きている人たちにとって良きものなのだろうか。

自分と他人を比べない。それと同時に、他人の選んだ道をとやかく言わない。それがみな穏やかで健やかな暮らしを送る秘訣だと知りながら、人は人、多様性が大切だとか口では言いながら、いざ何か目の当たりにしたときに本性が出るなと感じた出来事。

わたしが納得する必要はない。それより、身近な人が提示してくれた人生のカタチを見つめながら、新しい価値観を自分の中で醸成出来ないものかと願っている。彼女と彼女の子どもたちが、ずっとずっとしあわせであることも。

(初出:WEBマガジン「salitote」:2017)