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© Hikita Chisato

「悩む人」京都っぽい…!?

2021.01.09

生まれは京都です。そう言うと、結構な確率で「わー、確かに京都っぽい!」と言われる。しかし、言葉を前向きに捉え「そうですか?」なんてまんざらじゃない顔をしている最近のわたしは、本当に京都っぽいのだろうか。

思春期に父親の転勤で関東に引っ越した。訛りを気にしながら標準語を話していたからか、気が付いたら口調がとてもスローになっていた。それを人は「おっとりしてる。」と、京都っぽいと言う。

だけどわたしは、今でも京都駅に着いた瞬間から緊張感に包まれる。粗相をしないよう、言葉の向こうに潜むどんな小さなツッコミにも反応出来るよう構えると、口調も早まる。おっとりニコニコだけしている訳には到底いかない。

先日、京都のB面、いわゆるイケズらしきものを目撃した東京生まれの友人が、アレはどうなのかと憂えていた。これからオリンピックに向け、インバウンド、インバウンド!とみなが言ってる時に、あんなイケズで、と。

よく言われるのが「ぶぶ漬け」や「一見さんお断り」だが、例えば「元気なお子さんですね。」と言われたら「うるさくてスミマセン。」と謝る様式も、京都怖いと思われるエピソードの一つかもしれない。

ただ、彼女が目撃したのは「どこかオススメのスポットありますか?」と聞いてきた観光客の女の子に「知らん人にオススメなんて出来ませんわ。ご自身で下調べしてきたらええんちゃいます?」と返した喫茶店店主の態度。彼女の話にみなドン引きだったが、わたしは真摯な態度に感じた。さらに、「でもえらいストレートやな。これはイケズじゃなくて、個人の性質やな。」とも、密かに思った。

引っ越してから25年、千葉や東京にも相当馴染んでたつもりだったけれど、やっぱり三つ子の魂。卑屈か!といなされるくらいに自虐はするのに、人から京都のことを何か言われると擁護したい気持ちがムクムク生まれる。

しかしきっと、「こんなん言ってたから、ちゃうちゃう、そうちゃうってちゃんと否定しといたで!」とか言ったもんなら、「いやいや、そんなんええし。庇ってくれんでも全然いいし。つーか1000年これでやってきてるし。だいたい、だれも来てくださいなんて頼んでへんし。」と言われることは請け合いなのだ。

「京都っぽい」、実は褒め言葉じゃないかもしれない。

(初出:WEBマガジン「salitote」:2017)