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© Hikita Chisato

「悩む人」旅と日常

2021.01.09

言葉が通じないところへ行きたい!わたしがいつも旅に求めることはこれだ。願わくば、文字も何も読めないところ。意思の疎通が必要になったとき、何を欲してるのか、互いに全身全霊を傾け読み取ろうとしないといけないところ。

そこでは、ほんの少しの目配せが、微笑みが、口調がその人の人となりを表す。日本人は勤勉。中国人は騒がしい。台湾人は親切。インド人嘘つかない、ブラジル人陽気。そんなステレオタイプはその国に行くとすぐに、消える。結局は個人個人の問題で、性格はみんなそれぞれ違う。どこへ行っても親切な人はいるし、割り込んで平気な人も、騙そうとする人も、呑気な人も短気な人もいる。言葉が通じないからこそ、五感を働かせ旅を自由に味わえる。

ところがこれが生活をするとなると状況は180度変わる。どんなにニコニコされたって、自分の望むことが相手に伝わらないと困惑する。例えば新たに現地で銀行口座を開く。水道の工事に来てもらう。働くためにビザをもらう。ちっともスムーズに進まない、それでもどうにか知り合いから良いアイデアや情報をもらって事を成し遂げないといけない。旅先では日本人がいる場所を避けたりしたものだけど、暮らすとなると言葉の通じる同胞がどれほどありがたいものか。

昨年はインドネシアに暮らす友人を頼りジャカルタを訪れた。彼女の自宅にしばらく泊めてもらい、持参した鉄板で作るタコ焼きパーティーを催したりもした。彼女に聞けば、美味しいタコがどこで手に入るかは一発で分かるのだ。長くジャカルタで働く旦那様や、久々に会う別の友人夫妻にも参加してもらい、非常に楽しい夜を過ごした。日本でもお茶をしたり食事をする機会はあったが、異国で何か一緒にすると、普段より一層強くて深い絆が生まれるのではないだろうか。そして、自分が日本人であること、日本語を浴びて育ち、今も続く年中行事に少なからず関わりながら暮らしてきたこと。数々の歴史の流れの末に自分がいることを実感する。

しかし、今度は帰国したとき。同じ文化、同じ言語を共有するもの同士なのに、どうしてこんなにもすれ違うのだろう。期待が大きくなってしまうのか、同じはずだと思い込みがあるせいなのか。多様であって然るべきなのに、ほんの少しの言葉遣いにわたし自身も気が立ってしまったりする。世の中、そう単純はにいかない。

(初出:WEBマガジン「salitote」:2017)