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© Hikita Chisato

「悩む人」シェアできない気持ち

2021.01.09

この間、最寄り駅のホームからエスカレータで改札に向かっていた時、ふいに、わたし今悩みがない!と思った。休日一人でどこかに出掛け、早めに帰ってきた夕方だっただろうか。なんとも言えない多幸感に包まれていたその日、この連載のことを思った。どうしよう、無理に悩むなんて本末転倒。と言うか、なんとか悩みを探すなんて、とってももったいない行為なのではないか、と。

だけど、数日後にはめでたく、悶々とした思いを抱えながら車の運転をしていた。めでたいのだろうか…。因みに考え事と運転は相性が良い。待ち合わせなどで時間に追われてない時、渋滞でイライラしていない時が特に良い。

悩み抜いたテーマは「人に人を紹介すること」。ピンポイントで、この人とこの人を引き合わせたら面白いことが起こりそう!というパターンと、何かしら繋がりのありそうな人を大勢誘うパターン。わたしはどちらも結構好きで、その後嬉しいことに、友人と友人が親しくなっていくこともとても多かった。(たまに失敗もある。)

そのノリで、友人に友人を紹介した。編集者の友人から仕事の依頼があった際、どうしても都合がつかなかったため友人カメラマンを紹介したのだ。しかし、その後も二人が度々仕事をしていると知り、心がチクリと痛んだ。そのカメラマン女子は本当に感じが良く、仕事も正確で早い、そしてかっこいい写真を撮る。自信を持って紹介した人が気に入られたのだから、喜ぶところなのだろう。でも痛むこの「チクリ」のことは、一体どうやって処理すれば良いのだろう。

この気持ちを例えると、両思いだとおもっていた人に親友を紹介したら、二人がいつのまにか付き合っていたような気持ち?

「もしかしたらわたし、何かいけなかったんだろうか。」「彼女のここがわたしより優れているからかな。」「また忙しいから断られると思われたかも。」「あのとき、遅刻したから。」「写真のテイストが違ったのかな。」「ギャラの交渉するから面倒くさいのかも。」「休み明けにぼんやりしていたミスしたことあったな。」

小さいころ、例えばバレエでも習っていたら、チームプレイのスポーツをしていたら、こういう気持ちの整理の訓練が出来たんじゃないかと思ったりする。主役に選ばれる人、選ばれない人。試合のレギュラーになれる人、落とされる人。仕方ないな、わたしの実力なんだな、チームメイトを応援しよう。そんな訓練が足りなさ過ぎるのか。

編集者は適材適所を見極めているのだから、またわたしに声が掛かることもあるのだ。なのに、バカみたいに考えても仕方ないことをグルグルと考える。こういう気持ちは、二人が一緒にいるところ(この場合、クレジットを目にするってことなんだけど。)を数回見ると馴れてくる。いや麻痺する。1年くらい時間を経るとどうってことなくなる。実はこれまでにもこんな経験を幾度かしているから分かるのだ。

こういうことを悶々と考えるときは暇な時が多い。フリーランスだから、波がある。だけどもっと忙しくなろう、良い仕事を増やそう!そして後輩に仕事を譲ろう。

ここでやっと考え至るんだけど、全く同じ世代、同じ分野で働くわたしたちはカメラマンとしてライバルじゃないか。ライバルを紹介するわたしって、バカなのかな。

だがしかし、せっかくのお仕事は出来れば友人にまわしたい。カメラマンのあてがなく、困っている編集さんにも協力したい。遮断するのは後退じゃなかろうか、与えるものは救われるというし。でも、わたしのような器の人に、人を紹介する資格なんてないのかも。チクチク悶々、自己嫌悪。

世の中の人はこんな気持ち、抱えてないのかな。みんなうまく消化するのかな。そんなことを悩む日々です。

(初出:WEBマガジン「salitote」:2017)