
2026.09.24

「うちの会社が損をするんだから、登録しない人とは取引しないって経理が言うんですよ。これからも仕事を依頼したいので、登録してくださいね」。20年ほど取り引きのある企業の人からそう言われたのは、インボイス制度がはじまる半年くらい前だった。制度自体は何年も前から綿密に準備、計画されていた。けれど、そこには問題がある、という声が大きくなったのは施行される直前のことだった。
大きな企業に勤める人にとってのインボイスは、「何やらまためんどくさい手続きが増えるなあ」、というニュースだったかもしれない。でもわたしにとっては、生きるか死ぬか、の問題だった。コロナ禍で、新規の依頼がゼロになった。レギュラーの仕事でなんとか凌いでいたけれど、それもいつかは終わることがわかっていた。売上は、半減どころではなかった。そこから少しずつ、少しずつ生活を取り戻していこうとしているところに施行されたインボイス制度は、弱っている人に追い討ちをかける制度だと感じた。
「登録していない業者は使いませんよ」「登録しないなら、消費税は支払いません」
インボイス制度がはじまってから、実際に言われた言葉だ。違法だと言われていることだし、施行後の数年は免除特例もある。問題じゃないですか? と指摘しやすい状況ではある。けれど、言っても仕事が減るだけなのは、目に見えていた。
価格をあげればいいんだよ、という話もある。小売店ならば販売価格を、フリーランスならギャランティーの単価をあげる。ただ、実際はわたしのようなフリーランスフォトグラファーの場合、雑誌ならばページ毎に単価が固定され、何年も変わっていない。受けるか否かの選択肢はあっても、価格交渉の機会はない。斜陽産業と言われる業界なので、単価は下げたいくらいだろう。安いギャランティーでも引き受けたい人もいるし、わざわざ撮らなくてもAIでイメージがつくれる時代だ。
消費税10%分を、お客さん(消費者)から取るのか、業者が泣くのか、発注者が耐えるのか。そうなると、「いいよいいよ、うちが持つよ」「誰かにさせるくらいなら、わたしがやるよ」と、しんどいことを誰かに押し付けたくない人が、会社が、その負担を引き受けることになる。誰に取ってもしんどい制度だ。
これまで、免税されていたことがズルいんだから、とも言われた。そうなのだろうか。
消費税は、所得が低い人ほど税負担感が重くなる租税と言われている。所得に応じた税率である所得税や住民税とは違い、全ての人が同じ税率で支払う税金だからだ。また、これまで小規模事業者の免税をしてきたのは、10円、20円の利益をコツコツと重ね事業を営みながら、たった一人で経理、営業、実務をすることもある小規模事業者の負担を軽減するためだ。仕入れなどの諸経費を支払う際、すでに消費税を負担している、ということも考慮されている。消費税は大手企業優遇税制と言われていたので、小規模事業者の生き残りのために免税が認められた。スーパーやショッピングモールが一人勝ちする世界ではなく、小さな個人商店が生き残れるように、という考えだったはずだ。消費税が施行された1989年頃に繰り広げられた消費税反対運動の成果だ。
大きな会社で手分けをする方が、事業の効率はいい。そういう会社に入らなかったのが悪いのだろうか。自分の会社とその利益を、どんどんと大きくしなかったのが間違いだろうか。単価をあげ、新規営業で依頼と売上を増やしていくのは正論だ。やりようはいくらでもあるのだから、勝つか負けるか。諦めた人から脱落し、やり続けた者が残る。そういうことかもしれない。
でもそうすると、わたしたちはいったいいつまで、戦い続けないといけないんだろう。大きくならず、目の前にいる人が何を必要としているかじっくりと考えながら商売をし、小さな利益をやりくりしながら居場所代を支払うだけではダメなのだろうか。誰かがホッとできる時間を提供したり、自分で考えて選ぶ手伝いをしたり、生きていくのに必要な支えになることで対価をいただき、そのお金で暮らしていくことは不可能だろうか。
そして、売上をどんどんと伸ばし税金を納めたところで、将来は安心なのだろうか。防衛費ばかり上がり続ける昨今、福祉や教育などの社会保障にわたしたちの税金が使われているとは思えない。仕方ないよ、全部自己責任なんだから。人に迷惑をかけずに必死に頑張っていれば、困ったときはきっと国が守ってくれる。言う通りにしておこう。そんなふうには、どうしても思えない。
インボイス制度は、わたしにとって大変身近な政治的イシューだった。反対の声をあげ続ける人の数を考えると、マイノリティと言える。そこに立ったことで、はじめて見えた景色。それはこれまでのわたしが、例えば土地を奪われる人のことも、自分の意思に反して故郷を去らないといけない人のことも、騒音の中で暮らさないといけない人のことも、ずっと他人事にしていたのだな、ということだった。事情があって生活が立ち行かなくなった人のことも、学校に行きたくない子どものことも知っていながら、それを無視できる特権的立場に甘んじていた。自分には関係がないと思っていたこと、何もできないと諦めていたこと。自分が当事者になる問題が発生したことで、やっと他の人の困りごとがくっきりと見えるようになった。無視したくないし、無視されたくない。
仕事が全くない時期、わたしはオンラインで様々な勉強会に参加した。ヨガをしたり、映画を観たり、K-popにハマったりもしながら、社会とどう関わっていけるのかを模索していた。これまでは撮影の依頼がわたしと社会の接点だった。だけど、それが失われた。写真を撮ること以外でも、何かわたしにできることはないのだろうか? ずっとそう思っていた。そんなとき、『Weの市民革命』という本をきっかけに生まれた、Sakumag collectiveという共同体を知った。社会にある様々な課題について学び、考え、自分たちにできるアクションをする有機的なチームだ。そこでの活動を通し、「自分ができること」を探し続けた。
問題解決の方法のひとつは、政治だと思った。一人ではどうしようもないこと、当事者に対抗する力がないことを、政治が解決をする。個々人が手を差し伸ばしたり、メディアが広く報道することも大切だ。さらに政治家は、そこからもう一歩、踏み出せる。弱い立場にいる人に寄り添い、社会を少しでも良い方向に変えたい、そう思っている人に政治をしてほしい。それまで、イメージや表面的な言葉で選んでいた政治家のことを、調べる癖がついた。わたしが暮らす杉並区では、コロナ禍中、保守的と言われていた政治家が選挙に落ち、庶民の立場で政治をしようとする候補者が代表に選ばれるようになった。そんな政治家が生まれたのは、ずっと地域で「自治」について考えてきた市民がいたからだった。彼ら、彼女たちの動きを見続けていたら、わたしも何かしてみたくなった。そこで少しずつ、選挙ボランティアという形で政治に関わるようになった。
多くの大人たちは、政治家に「ちゃんと働いて!」と言う権利、選挙権を持っている。そして、その動きを見続けることができる。奮闘する政治家の活動を支えることもできる。そして、自分が政治家に立候補できるという「特権」を持つ人は、その特権を活かし、必要な人のために力をふるうことだって、可能なのだ。
問題があれば、声をあげる。一人では届かないときは、連帯できる仲間とつながり、一緒に解決方法を考える。小さいけれど、わたしたち一人一人には、力がある。生活をしながら、わたしもわたしができることを、実践していきたい。