2021.01.09
先日、とある古本市で「うつヌケ」という本を手にした。2017年に発売され話題になった本なのでご存知の方も多いかと思うが、うつ病を患っていた著者が病気を克服した自分の経験、それから、同じようにうつ病で苦しんだことのある人へのインタビューを漫画にした本だ。
なにしろわたしは連載のタイトルに「悩む人」と付けるくらいで、常に「考え過ぎでは?」と人から言われがちだし、薄々自分がうつ傾向にあるのではないかと思っていた。そのため、逆に書店で「うつヌケ」を目にしても手に取るのを躊躇したし、なんとなく読むのが怖い気もしていた。けれどやっとタイミングが来たのかもしれない。
「ねばならない。」という考え、自分が理想とするゴールがあって、そこに到達出来ず苦しむところ、何か良くないことが起きるのではないかと不安になる気持ち、多面的な見方のある物事を悪く捉える癖。書いてある傾向は、どれもこれも自分にも当てはまる。それらが何かのきっかけで暴れ出したとき、人はあっという間に深い深い海の底のようなところに沈んでしまうのかもしれない。でもその前に踏みとどまる方法があるなら、予防出来るなら実行するに越したことはない。客観的に自分を見つめるためにも、とても良い本だと思った。
「考え過ぎないで。」「もっと前向きに。」「頑張らなくていいよ。」そんな言葉は実は海の底には届かない。だって、わたしはいつもそうしたいと思っているのだ。幸せを自分で作る、そんな言葉も同じ日に見つけた本に書いてあった。とっても良い言葉だけれど、それも、海面近くに浮き上がって初めて出来ることかもしれない。
海の底に届く光、それは「わたしはわたしで素晴らしい」と感じることのような気がしているし、「うつヌケ」した人も、その光を掴んだ人が多かった。
わたし自身は何度も人に、言葉に救われてきた。自分を信じる気持ちも、人との関わりで育んできた。だけど希望の光を届けるのは、生きている人間だけではない。動物が伝えてくれることもあるし、木々や風から、あるいは古人が残した書物からそんなメッセージを受け取るかもしれない。そして光が降り注ぐタイミングは突然だ。だからこそ、その機会が訪れたら逃さずめいっぱいに浴びたい。きっとこの世界を祝福したい気持ちになる。
もちろん、社会で生きている限りは、ずっとずっと光に包まれてはいられない。わかりあえない人がいて傷ついたり、執着や欲を手放せず苦しんだりと、アップアップしながらこれからも泳いでいくのだろうから、また海に沈みそうになったときのために浮き輪は準備したい。
わたしにとっての浮き輪、光、喜び。それはやっぱり「写真」なのだと思う。写真の裾野は広く、時間と距離を超えて何かを届けられる可能性があるし、それが誰かにとっての光になれるのだとしたら、さらにうれしい。
(初出:WEBマガジン「salitote」:2018)