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© Hikita Chisato

インドネシアのテーブル

2018.05.01

学生時代、インドネシア語の勉強をしていた。当時は相当ハマっていて、短期語学留学をし、インドネシア語検定を受け、学外でもインドネシア語教室を探し通っていた。正規留学も考えたのだけど、果たして言葉を習得して何がしたいのか?と熟考した際には答えが見つからなかった。何か技術を身につけ、それからもう一度訪れた方が良いのではないか。それならばと選んだのが、カメラマンの道だった。

カメラマンになると決めてからは、海外旅行を封印した。いつか仕事で訪れるチャンスが来るまでは、海外に行くことは諦めようと。なので、独立後にバリ島へ行く仕事が来たときには、まるで夢が叶ったような気になった。結婚がゴールなのではないのと同じで、カメラマン人生も始まったばかり。そこから道を切り拓く方が余程大変、ということを実感するのはそれから数年後のことなのだけど。

大学を卒業してから約16年。今年また、久々にインドネシアを訪れた。留学中、共に学んだ友人や、ホストファミリーとの再会が一番の目的。学生時代のノリで、早速道端の屋台で食事したと話すと驚かれた。経済発展と共に、人々の暮らしも豊かになった印象を受けるインドネシア。特に首都ジャカルタでは、屋台で食事をする層、フードコートでする層、ショッピングモールに入る外国資本のレストランでする層はどうやらパッカリと分かれるらしい。自宅に泊めてくれた友人もキャリアアップを繰り返し、今はジャカルタの中でも高級な住宅地で暮らしている。そんな観光地でもない場所にふらりと現れたアラフォー日本人が、屋台で注文するのは珍しかったはずだ。

日本の屋台との違いは、対面で注文するのではなく、料理人の側にまわって食べたいものを頼むこと。正面はガラス張りで、店名やメニュー名がカラフルにペイントされている。物珍しげに見たり写真を撮っているうちは、向こうもチラチラと気にする程度だったけれど、これを食べたい!と、甘辛いタレのかかったサテ(焼き鳥)を注文し、とってもおいしいよとインドネシア語で伝えてみれば、途端にうれしそうにいろいろと話しかけてくれる。もうすっかり忘れたとばかり思っていたのに、2週間の滞在中に記憶の彼方から随分たくさんの言葉が蘇ってきた。インドネシア語の勉強は、老後の楽しみに出来るかもしれない。

(初出:WEBマガジン「R the TIMES/すべてはテーブルから始まる」:2016)