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© Hikita Chisato

「悩む人」暇を味わう

2021.01.09

特にFacebookを始めてからが如実だったのではないだろうか。以前はポストに届くDMで知らされた展示会やイベントのお知らせが、簡単にPCの画面上で流れるようになり、休日出かけることがものすごく増えた。Instagramでフォローしている人がそこを訪れた様子も見かけるので、度々リマインドもされる。

東京は刺激の多い場所で、毎週たくさんの人があちこちで面白そうなことを催している。わたしはフットワークがやたらと軽く、東京以外の町にだって足を運んでみせたりする。片っ端から予定を手帳に書き込んでは、数年に渡り飛び回っていたのだけれど、今年はそこから一度、物理的に離れてみることにした。

興味はあるし、出来れば参加したい。しかし本来、観たい映画の前売り券も買わない。美術館の招待券も義務感がセットになっている気がして少し苦手。行くか行かないかはその日の気分で決められたら、それに越したことはないのだ。

幸い両親のセカンドハウスがある館山にはまだ知り合いも多くない。おまけに、カラー調整されたPCもセレクトしないといけないデータもない。カフェやセレクトショップはあるけれど、一通り巡回したのでしばらくは行かなくても満足。誰かから誘われることもなく、やることは近所の神社や道の駅をブラブラするくらい。そんな海沿いの町に、基本的に週末、自宅から1時間半ほどかけ行くと決めてみた。

そうしてみると、子どもがいないわたしたち夫婦の休日は、長い長い小学生の夏休みのようだった。子どもが独立し、定年退職した夫婦もこんな感じだろうか。この先、子どもの成長も、孫の誕生もないのだとしたら、この有り余る暇を存分に味わう手立てが必要だ。

思い起こすと学生時代だって、隙あらばバイトを入れ、休みは海外旅行に出かけていたし、社会人になってからは、毎晩飲み歩いていただろうか。もしかしたら、いつのまにか暇が怖くなり、あれこれ予定を入れていたのかもしれない。今、同世代の友人たちは子育て真っ最中で、毎日が目の回るような忙しさ、夜はもちろん、昼間だって気軽に誘えない状況。そこへ来て、わたしは20年以上ぶりに大いに暇なのだ。わたしは、わたしの人生を行くしかない。

年始に立てた目標は、そんなわたしにピッタリの旗だった。

・写真を売る
・家にある本を読破
・月に一回以上館山に行く
・身体に気持ち良いごはん作り
・何かを耕す
・映画を月に数本観る
・もう一度台湾に行く
・おはしのある国(新規)に行く
・日本のおはしを撮る
・リノベーションを完成させる

暇を味わうぞ。

(初出:WEBマガジン「salitote」:2018)