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© Hikita Chisato

「悩む人」帰る場所

2021.01.09

わたしには故郷がないと思っている。生まれ育ったのは京都の郊外にある住宅地なのだけれど、父親の仕事の都合で14歳のときに千葉に引っ越している。もし進学や就職など、自分で選択し上京したなら故郷を離れたという気持ちも強かっただろう。だけど家族全員で転居したため、わたしのホームは千葉になった。

思春期と言える時期を千葉で過ごしているため、船橋や松戸などの地名を聞くといまでも懐かしい。県民の日にはディズニーランドへ行ったし、成田空港よ頑張れ!と思っている。チーバくんやふなっしーにも親しみを感じる。だけど故郷と言えるほどは愛着がない。住んでいたのが都心に近い千葉だったため、今いる東京の延長線上に感じるのも理由の一つかもしれない。

なぜ故郷のことを言い出したのかというと、わたしはこの先どこかに「帰る」ことがあるのだろうか、あるいはここではないどこかに移住することがあるのだろうか、と最近よく考えるからだ。いわゆるUターン、あるいはIターンだ。

マンションを買うことも家を建てることもこれまでほとんど考えたことがない。どこかに根を張ろうという気持ちがとっても薄いのだ。それは環境のせいなのか、性格のせいなのかは分からない。でももし故郷があれば、移住先としては一番有力な候補地になったのではないかとは思う。

あるいは、この土地が大好きだ!と思える出会いがあれば。いや、そこまで強い気持ちではなくても、なにかしらの縁が感じられる土地があれば。これまではただただ流れにのって暮らす場所を選んできた。加えて、様々な場所を旅しいいなあと思う土地をたくさん見てきたため、逆にここだ!ここしかない!と思う気持ちが弱まっている。運命の人が見つからない状態だ。

外国に住みたいという願望も捨てきれない。ただ、これもまた「この国を愛している!」と思えるくらいの場所がなくて、もはやダーツで選んでも良いくらいの気持ちがどこかにあった。ところが先日、出張でロンドンに行く機会があって、その際にしみじみと思ったのだ。働くにしろ、勉強するにしろ、その場所を心底好きだと思えなければ、きっと長く生活するのは辛いだろうと。

ただ、この人に会いたい。生活したい。一緒に日々を過ごしたい。と思う人がいたなら、そこに住めるような気はする。

そう考えると、今わたしが世界で一番好きな場所は、夫がいる場所だ。でも、夫はサラリーマンで、自分の仕事にやりがいも誇りも持っている。彼が東京を離れることがないならば、わたしはホームを東京に置きつつ、短期的なスパンで移動を繰り返す暮らしがベストなのではないだろうか。

そんなことを思うこのごろである。

(初出:WEBマガジン「salitote」:2018)