© Hikita Chisato

差別しない

2025.07.02

香港で #おはしのある風景
わたしが「おはしのある風景」を撮る理由。言語や育ってきた環境、文化に違いがあっても、食べることを通じ互いの共通点に気づいたり、知らなかったことを発見したり、新しい価値観に触れられる可能性を感じるから。

音楽、アート、ダンスなど、言語を超えて何かを伝えられるもの。映画や文学、アニメーションなど、言語を置き換えつつも理解するもの。様々な切り口で、人々はわからなかったことを理解したり、わからないまま感動してきた。写真にもそうした側面、何かの理解を深めたり、誰かの心を少しだけ動かす場面がある。食文化、中でも食事に使用する道具である箸にフォーカスしながら、異文化コミュニケーションを深めていきたい。

一方、異文化にある人々が行き交う際、侵略や植民地主義など、たくさんの間違いも犯してきた。いまだ、自分たちは優れていて、劣性なものを指導する役割があると思う人がいる。自分と違うものを認めず、それどころか排除しないと済まないという優生思想を持つ人がいる。

ここのところその人たちは、「外国人」は「怖い」「ずるい」と吹き込み、差別を煽動している。これまで「在日」だったり「部落」「LGBT」「生活保護受給者」「障がい者」といったマイノリティを対象をしてきたもので、「女性」を分断させてきた方法。

その矢はいつ自分たちに向けられてもおかしくないし、もしかしたら、矢を向けられてきたと感じている人が防衛本能からその煽動に乗っているのかもしれない。けれど、考えてみてほしい。国境を超えて旅をしている人から、教えてもらうことは多い。さらには、異国で学んだり、移動した先で働く人は、その国から何かを奪ったり、得をしているのではない。言語や文化の違いを乗り越え、様々な不都合を受け入れ、暮らしているのだ。そのモチベーションは上昇志向の場合もあるかもしれないけど、生まれた場所で虐げられ、逃げてきた可能性もある。自分の感覚を少し疑い、その人を一人の人間として観察してほしい。必ずバックグラウンドがあるのだから、そこに思いを馳せて欲しい。

生きていくのは簡単なことではないし、誰だって苦しくて辛いことがある。日本に生まれただけでも恵まれているんだよ、なんて言われても「そうだね」と思えるときばかりじゃないだろう。それでも、もし満たされているなと思えたとき、それは自分が優れていたからだと考えず、たまたま「特権」を持っているのだと理解したい。その特権は、不足している人に分ける義務があるのだと思い出したい。もし自分が苦しいのならば、その苦しみを自分よりも弱い人に投げつけるのではなく、特権を自分のためだけに行使している人に向けたい。加えて、特権についても「あの人がずるい」というデマに惑わされず、本質に辿り着ける力と、事実を調べる時間を持ちたい。考え方が違う人はもちろんいるのだから、誰とでも分かり合えるわけではない。けれど、戦争をしようとする人、差別をする人、弱さを踏み躙る人に騙されない。

排斥されれば、きっと心に大きな傷を付ける。優しくされたら、いつかその愛を誰かに返すこともあるだろう。傷つけあって生きるのではなく、労りあってこの社会を、人生を乗り越えていきたい。