2021.01.09
今日は、少し自分のphotographer人生を振り返ってみようと思う。と言うのも、あと数ヶ月で40歳になるので、今年はいろいろ考えてしまうのだ。30代に突入する前もそうだったが、今は40代になったらこんなことがしたい、あんなことがしたい、とあれこれ準備している。ただ、未来のことだけでなく、どうしてこの場所にたどり着いたかをたまに振り返るのも良いものだ。
写真を始めたのは高校一年の時だった。写真部の存在を知り、覗きに行った。中学生の時に流行っていた「銀色夏生」の詩集の影響もある。彼女は詩と共に、自身で撮った人物や風景の写真を本にたくさん掲載していた。わたしはどちらかというと、詩より写真が気に入っていた。
高校、大学と写真部に所属していたが、決して真面目な部員ではなかった。部室を溜まり場にするくらいで、どちらかというとバイトに明け暮れる毎日。ただ、就職を考えた時にふと、「手に職をつけたい。好きなことを仕事にしたい。写真なんてどうだろうか。」と思った。
どうやったらphotographerになれるかなんて知らなかったから、アルバイト情報誌をめくり、ブライダルphotographer募集を見つけ応募した。先輩に同行して結婚式の写真を撮るのと同時に、アルバムの編集や式場での営業を教わった。人生の節目を記録に残す、人に喜ばれる仕事だった。
ところが、その会社に所属して半年ほど過ぎたときに、仲の良かった高校時代の友人が突然亡くなった。高校、大学と山のように撮影した彼の写真は、残されたご両親や友人たちの大事な宝物になった。写真にはそんな力が、価値があった。そして、人はいつ死ぬか分からないのなら、本当に本当にやりたいことをやるべきなのではないだろうか。ブライダルの仕事もやりがいがあるけれど、もっといろんな人と出会える場所へ行きたい。そう思って転職した。
スタジオマンやアシスタントを経て独立し、フリーランスのphotographerを名乗るようになった。声を掛けてくれたクライアントの思い描く形に沿えるよう、そして被写体が満足してくれ、目にした人たちには良い写真だと思ってもらえるよう願った。人から認められ、望まれて初めてプロと言えると思っているし、人の役に立つことで社会的自己実現をしていると思いたいからだろう。
デジカメに移行してからは、データをプリントし、その次に会った時にご本人へ渡すことを楽しみに過ごした。「プリント」という形に残しておけば、本人が机の引き出しにポイとしまったとしても、きっといつか、例えばその方のご家族が懐かしく思ってくれる時がくると信じていた。それは仕事というより、自分の趣味のような活動だったが、ここ数年、そんな自分のライフワークは止まっている。写真をプリントしてプレゼントすることより、自分の作品を写真展などで発表することに忙しくなったのだ。
いつしか、個人的な記録写真ではなく、わたしが見て感じ、切り取ったものを認めてもらいたい、それによって見てくれる人の心を動かしたいという思いが強くなったのだろう。これは自己顕示欲なのか、目立ちたいだけなのかと悩むことも多いにある。表現したいことがある、だけどそれだけでは食べていけないから仕事で撮影をする、という人もいるし、商業的な仕事での成功だけを望む人もいる。しかしわたしにとって、仕事としての写真も、個人的な活動もなくてはならないもの。
その時々で考え方、力の注ぎ方は変わってくるけれど、報酬という形で「喜ばれた」「認められた」と実感しやすい仕事もしたいし、誰かに「懐かしさ」「発見」「切なさ」あるいは「悲しさ」「苦しみ」「恐ろしさ」でも良い、何かしらの感情を沸かせるキッカケとなる写真も撮りたい。それらは40歳からの目標でもあるし、ずっとずっと写真を撮り続けることは人生の目標でもある。
(初出:WEBマガジン「salitote」:2017)