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© Hikita Chisato

「悩む人」自分の作品を売るということ

2021.01.09

毎年夏の恒例となっている、長野県松本市での展示が始まった。会場はコーヒーも美味しい本屋さん「栞日」のギャラリースペース。こだわりの額に入れたこともあったけれど、昨年からは作品をズラリと並べ、直接壁に貼り付ける形を取っている。

最初に写真展を始めた目的は、自分で作った写真集を手に取ってもらうためだった。ブラジルの風景や人々の暮らしを写した作品を大きくプリントし、アンティークの額に入れて飾った。翌年から写真集はおまけになり、友人のクラフト作家たちに声を掛け、彼女たちの作品とともに小品を並べた。写真だけをじっくり見てもらうスタイルから、部屋の中に並ぶ雑貨のようなものとして、写真を楽しんでもらいたかった。次の年は天井から透明なフレームを吊り下げてインドの写真を紹介、イラストレーターの友人との二人展とした。そして昨年はキャンバス生地に写真を印刷する手法で松本の農家さんや食材の写真を展示し、今年は和紙に台湾や韓国のおはしがある風景をプリントしている。

展示方法にしてもテーマにしても、毎年試行錯誤だ。ただ作品を見てもらいたいという気持ちだけでは、長く続かない。購入してもらうことを目標としている。そのために、一体何が出来るのかずっと考えている。

展示期間中に、親交のある店でカゴの展示販売会があった。顔を出してみたら、くるみの木で編んだ小さな可愛いカゴが目に止まった。でもこういうカゴは高価なんだよな、材料は減っているし編み手も少なくなっているから。そんな現状を、価値も相場も分かっていながら、値札を見たわたしは「あ、やっぱりいま買うのは無理かなあ。」と思ってしまった。

でもよく考えたら、こういう気持ちと写真が売れない気持ちは近いのかもしれない。まず、価値があると思ってもらえないことには始まらないけれど、たとえ良いと思っても購入に至らない心理。「高いなあ。」を変えていきたい。わたしだって、いつもアジアで買った安いカゴばかり使っていたけど、いつかはくるみの木のカゴが欲しい。何かがあれば、意識が変わればお金を貯めてでもあのカゴを買うだろう。作り手と話したときだろうか。売り手が丁寧にカゴが出来上がるまでの背景を教えてくれたときだろうか。(実は、すでにお金を貯めはじめている。)

もしかしたら、その写真をパッと見て「すごくいいな!買いたい!」と思ってもらえるなんて、幻想というか、甘えなのかもしれない。ちょっといいなと思ってくれた人に、その写真の裏側にある物語を、そこに至るまでの思いを、行動を、ちゃんと伝えられたら良いかもしれない。

わたしはどこかで、見る人に誰かがそっと耳打ちしてくれないかなあと、期待していた部分がある。もしわたしがギャラリーに所属するアーティストならば、ギャラリーの人が熱心に解説してくれることもあるだろう。あるいは有名な誰かの目に留まりその人が紹介してくれたら、評判が口コミで広がるかもしれない。賞を取れば、注目もされる。でもどれも、他力本願と言える。

売れることだけを考えて作品を作るのは、商品じゃないのだから違う。だけど、売れなくていい、わたしが良ければ、わたしはこれがしたい、これが見せたい。という考えも、わたしにとっては違うと今は思う。天才アーティストになれない、フォトジャーナリストでもない。中途半端で泣けてくるときもあるけど、でもわたしのやり方で進むしかない。だって作品が売れないのは、とてもかなしいことなのだ。

そんなわたしの作品でも、毎年購入してくれる人がいる。きっと、応援の気持ちも大きいのだと思う。その方に恥ずかしくない写真を撮らないと、行動しないといけない。例えいつか大勢の人から評価されることが巻き起こったとしても、その人がまた「いいね。」と思ってくれることの方が希望の光なのだと言えるかもしれない。

(初出:WEBマガジン「salitote」:2018)