
2026.09.16

恥ずかしいことを思い出した。学生時代に行った、海外旅行先でのことだ。わたしはいつも、絶対に騙されたくない! と思って旅行をしていた。はじめて行ったアメリカのロサンゼルスでは、タクシーが遠回りしないか、緊張しながらずっと見張っていた。フランス、パリでは、スーツケースを乗せる際は追加料金があるとは知らず、運転手と言い争いになった。インドネシアのバリ島では、お土産を半額以下に値切らないといけないと思っていたし、語学留学先のバンドゥンの屋台では、屋台のおじちゃんに、現地の人たちと値段が違うのではないか? と言いがかりをつけたこともある。おじちゃんは悲しそうだったし、わたしは自分が間違っていたことに気がつき、恥じ入った。
いま考えると、余裕がなかったんだと思う。旅行ガイドには、ボラれるから気をつけろ。絶対に舐められるな。後に続く日本人旅行者のために、厳しく追求するように! と書かれていた。でもある時から、そういう姿勢で旅をしなくなった。地図アプリというものができ、タクシーは遠回りをしなくなり、料金も明朗会計。ホテルや飛行機のチケットも事前に比較検討ができるようになり、あまり損をしなくなったからだろうか? それだけではない。
インドネシアを旅したとき、チクっと胸が傷むことが何度かあった。日本では泊まれないよね、と言いながら、バリ島の高級リゾートホテルのプールサイドでビールを飲んだとき。ジョグジャカルタのバーのバーテンが、「自分は生涯、日本に行けることはないだろう」と言ったとき。バンドゥンの大学でチューターをしてくれた友達に、大学を出ても良い就職先が全然ないから、日本の企業を紹介してもらいたい、と言われたとき。そんなとき、わたしがアジアの国々で「安い」と喜んでいることって、実はフェアなことではないんだよな、と感じたからだ。
本当は、わかっていた。生まれた国がたまたま、日本だったから。日本円がやたらと強かったから。その恩恵を受け、学生の身分で、その国の人たちが1ヶ月で稼ぐような金額を平気で浪費していたのだ。それなのに、精一杯そこで生活する人たちが提示する値段を「高いよ、高い高い!」と言い捨てた。そこに暮らす人と同等の値段にしろ、それが公平だ、と思い込んでいた。それがどれだけ暴力的なのか、どんなに恥ずかしいことなのか、気が付いた。
インドネシアには日本以上に格差があって、年収10万円以下で暮らす人もいれば、わたしが想像もできないような豪勢な暮らしをする人もいる。国内で解決しないといけないことももちろんたくさんある。けれど、国内だけでは生活の苦しさが解消されないため、優秀で優しい人たちが、他国で外貨を稼ぐ。日本にも、出稼ぎに来る。彼らは、働き先の国の言葉や文化を学び、家族と離れ、借金をして働きに出る。就ける仕事は、大抵がその国の人手が不足している産業。そして、人手不足の解消に寄与していても、その国の情勢が変わると、急に自分の国へ帰れと言われるような環境。そんな不安定な状態でも、前向きに「日本が好きだ」と目を輝かせてくれる人たちを、わたしは知っている。
公平・公正で、平等な社会だとは全く言えない昨今の状況だけど、公平・公正で平等な社会は、それを目指さないとやってこない。格差が簡単に解消できるとは思えないけれど、せっかく日本で働こうと決めてくれた人たちが、健やかにすごせる社会であってほしい。できることがあるならば、わたしの力をそれに注ぎたい。
いま、わたしは丸腰で旅をする。言葉のわからない国では、お財布を開け、そこから必要なお金をピックアップしてもらう。日本を飛び出したとき、わたしもその国の人たちに助けてもらうしかないのだ。現地の人たちに身を委ね、優しさに甘えている。いやいや! それでは外国でサバイブできないよ! という意見もあるかもしれない。でも今わたしは、それで生きている。「騙されないぞ」と構えるより、「ちょっとくらい騙されても、仕方ないか」と思って過ごすことにしている。